江戸期には廻船問屋を営んでいたようで、天保14年(1843年)の廻船手形(船艦札)が残っております。その後、旅籠と魚屋に変わり、昭和10年の大火で焼け出されて以来、現在の地で営業を続けております。今は亡き6代目、嶋谷次郎八は新発田市出身で、明治、大正、昭和を通じての日本料理界の巨匠、渋谷利喜太郎翁のもとで料理を学びました。全てではありませんが「志まや」の料理には渋谷翁の流れが残っております。